100年ほどの長い歴史を持ち、日本と世界の架け橋となっている原田産業。
貿易総合商社である同社は、「造船・海洋」「建設・インフラ」「エレクトロニクス」「ヘルスケア・ライフサイエンス」「食」「生活」の6つの事業を柱として、バランスの取れた堅実経営でビジネスを展開しています。
「自らが挑戦者として、最高の一手を共創する、変革のパートナーであり続ける」というミッションを掲げ、世界中に新たな価値を提供し続ける中で、今回 HARADA ACCERALATOR を開催します。
そんな原田産業の代表:原田暁さんに、今回はアクセラレーターにかける想いなど、今の本音を伺いました。(聞き手:01Booster代表 鈴木規文)
鈴木:創業してから100年ほど経ちますよね。非常に堅実な経営をされていると思いますが、まずはどのように事業を進めてこられたか、御社の経営指針についても教えていただけますか。
原田:我々は商社という事業形態なので、どれか特定の事業に固執することはなく、時代の変化と共にビジネスの形態を変化させてきました。最初は建築用の板ガラスの輸入から始めたんですね。
現在はグローバルな日本のガラスメーカーさんがいますが、創業当時の大正時代は、まだ日本では大量生産が確立できていなかったので、多くを輸入品に頼っていました。その後の国内の技術進歩によって、我々の板ガラスの輸入ビジネスはなくなっていきましたが、時代の変化に合わせビジネスの多様化、多角化を図り現在に至っています。今、弊社の事業領域の中で一番古い事業は造船分野になります。
戦後の復興の中で、鉄鋼を中心に自動車や船というのは、一大産業でしたが、我々はその中で、船のマーケットに注目、注力してきました。造船所は当然鉄を大量に使い、人海戦術で建造を行っていたのですけど、搭載する舶用設備はヨーロッパを中心とした当時の最先端の技術を必要としており、我々はこのような最新鋭設備の輸入に携わっていました。 この舶用ビジネスは現在に至るまで続いています。
その後80年代からは、我々の取扱品は日本のエレクトロニクス産業の発展と共に工場内のクリーンルームで使うような特殊な設備とか消耗品とかとかに展延しました。その後エレクトロニクスも、海外にシフトし我々も自社の海外拠点からお客様をサポートしています。海外という点では最近、日本の技術力のある商品を輸出することにも注力しています。国内は食品や医療分野にも注目し、拡大している状況です。いずれの事業においてもニッチな分野にフォーカスしています。
鈴木:歴史の中で、事業の中心点をうまく変えてきたのですね。
原田:そうですね。我々の経営理念に「時代の変化に対応する」というのがあります。それがビジネスの本質といいますか、理念に繋がる点でもあるので、みなさん意識して日々やってくれています。
一番大切にしていることは「堅実経営」
鈴木:御社でもっとも大事にしていることは何でしょうか。
原田:創業者が一番大切にしていたのは、堅実経営ですね。おかげさまで、創業からもうすぐ100年になりますけど、これまで毎年黒字決算を続けてきました。自分たちの実力の内でビジネスを行い、残った利益をを次の投資に回していくスタイルで、これまでやってきたのが根底にあります。
鈴木:社員の方々にお会いして、気概のある面白い方が多いなと感じたのですが、社長は社員の方々をどのように見られていますか。
原田:我々の中で最近採用の際の人物像を「かぶきもの」と言っていますが、色んなシーンに合わせて良い意味で演じられるメンバーが多いと感じています。あとは基本的に真面目で、粘り強い。本質を見抜いてどんどん状況に応じて対応できる。そのあたりは結構自信をもって言えます。
1つ面白いエピソードとして、海外のメーカーが日本のマーケットの代理店を決めるときに、複数の候補がある中で、最終的にはうちの社員が付き合っていて面白いからという理由で、代理店を取れたケースがあります。
そこは、社員の性格を如実に表しているのかなと思いました。
鈴木:なるほど。採用や教育される際に、何か気をつけて取り組まれていることはありますか。
原田:学生時代に、スポーツでも勉強でもアルバイトでも何でもいいんですけど、何か1つ極めようとする中で、失敗して挫折する経験があったり、乗り越えて何かを成し遂げたりした人は、社会人になっても芯があると思います。商社は未知の分野を開拓する仕事が多いので、そういう人を一番大事に採用していますね。また学生時代にはなくても、仕事の中で失敗を乗り越え挑戦し成長していく人を応援したいと思いますので若いうちから挑戦できる機会を出来るだけ設けています。
ビジネス環境の変化に対する戦略
鈴木:最近、どの企業も産業も頭打ちになってきて、市場がどんどん厳しくなってきていると思うんですね。御社の取り巻くビジネスの環境は、今どのように変化をされていますか。
原田:我々は日本の製造業に対して、商品を供給しているケースが多々あります。製造業の人手不足・高齢化により、製造工程が省人化・ロボット化していく中で人がいなくなると、現状のビジネスも減っていくという危機感を持っています。
鈴木:この100年間に市場がどんどん変化する中で、御社は今までそれを見事に乗り越えてきました。そして今大きなチャレンジの機会が来ていると感じますが、そのあたりについては如何でしょうか。
原田:今まで海外の良いものを輸入販売してきましたが、そこのビジネス自体の勢力図が変わってきていると感じています。今までは欧米が主体でしたが、新興国が良いものを安く、しかもロットも少なくできるような体制になってきているんですね。
メーカーもどんどん直接参入してきていますので、商社の存在意義は、厳しくなってきている状況です。そのような状況なので、これからはモノだけではなく、デジタルテクノロジーを中心としたサービスを加えていく方向へ立ち位置を少しずらし、我々の存在意義を盤石なものにしていきたいなと思っています。
鈴木:大きな転換期というのは、社内にも浸透しているのでしょうか。
原田:危機感は伝わっていると思いますが、サービスへのシフトという考え方の大きな転換を社内全体に深く浸透させていくのは決して簡単なことではないと痛感しているところです。
鈴木:いいものをつくれば売れる時代は終わり、まさに「モノじゃなくコト」を売らなければいけない。商社の宿命としては、いいものを探して売るということを長年かけてつくり上げられました。それを変換させるのは、相当大きな挑戦だという意識を持たれているのですね。
原田:そうですね、色んなアプローチからスピード感をもって新しい事業の開発をしていかないと、時代の変化に取り残されるのではないかという危機感を感じています。
なぜオープンイノベーションを実施するのか
鈴木:その中で、今回オープンイノベーションを実施されます。社内と社外の壁を取っ払い、オープンに繋がっていく。そのあたりの想いと経緯についてぜひ教えていただけますか。
原田:昨今、我々の国内外の仕入れ先が、グローバルマーケットの買収合戦の中で淘汰・吸収されています。このような厳しい状況の中、我々の仕入れ先もグローバルに売れる汎用品の開発に特化しつつあり、今までのように日本向け需要に特別に融通を利かせてもらったりできないようになりつつあります。
そのような中、国内でいえば我々の独自性が重要であり、スタートアップの皆さんと一緒に、エッジの利いたコンセプト・サービス・商品をつくりあげていくことが大事だと考え、オープンイノベーションの実施に至りました。
鈴木:社外の人たちを、うまく巻き込みながら事業創造することは、実は元々商社はやってきたことだと思うのですが、より新しい価値を生み出すという視点でコラボされたことは今までありますか。
原田:基本的には自前主義でやってきました。ただVUCAといわれるような時代ですので、我々だけ意固地になってこのまま続けるのではなく、複数の会社とコラボしてオープンが必要なところはオープンにするというスタンスにしないと、状況は厳しくなっていくと感じています。
鈴木:日本の多くの会社は、同じように自前主義で、自分たちの資源だけでなんとかしようと頑張っているところが殆どだと思います。その中で、今後外と一緒に組んでやるというのは、大きなチャレンジになると思いますが、社内の人たちはうまく乗り切れそうでしょうか。
原田:難しい質問ですが、やはりそこは乗り切らないといけないですね。このままじゃダメだということを理解し、色々なアプローチをやっていかないといけません。
鈴木:コーポレートアクセラレーターは、世界的にかなり実施されているイノベーション創出の方法論ですが、国内ではまだ事例が少ないです。尚且つ大阪をベースにしている企業では稀です。社長としてはどんな気持ちでご決断をされたのですか。
原田:最初この話を聞いたときは、商社の醍醐味は、自分たちでビジネスマッチングすることだと思いました。でも01Boosterさんと色々お話しをさせていただく中で、単なるビジネスマッチングではなく、スタートアップ企業とスピード感をもって数か月のアクセラレーション期間に集中して事業創造するというのは、実効性の高い活動だと思い踏み切りました。
育ててくれた大阪を、なんとか盛り上げたい
原田:あと我々は大阪で100年近く育てていただいたので、なんとかこの大阪の会社と一緒に、盛り上げていきたいという気持ちがすごくあります。地域還元ではないですが、地元を大事にしていくという考え方も大事なんじゃないかなと思っています。
私たちの本社ビルも参画している「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪(OPEN HOUSE OSAKA)」というイベントがあるのですが、大阪のバラエティー豊かな普段一般公開されていない建物を年に一度一般に開放して大阪の魅力を再発見し、街を活性化しようというプロジェクトです。
最初は50個の建物のみの公開だったのが今は3倍以上の数になりました。今年の10月のイベントでは二日間で延べ5万人近くの参加者が全国各地から集まりました。
大阪を愛するビルオーナーさんがどんどん大きな輪を広げていったところがエコシステムらしくもあって、大阪にもまだまだポテンシャルがあるんじゃないかなと。これは私の中では繋がっているのかなと思います。
100年かけて育んだ信頼という価値
鈴木:イノベーションや新しい価値を創造するという営みが、今は決して1社だけではなく、地域全体で起こしていくようにどんどん変わりつつあります。その中で大阪という地域コミュニティに、どのように貢献されていきますか。
原田:微力ながら我々も中堅の商社として、よりスタートアップの皆さんと近い距離で、一緒に大阪を盛り上げていけるんじゃないかと思っています。
我々の強みは、自社の営業パーソンが各業界で末端の現場まで営業に行っていることなので、スタートアップの皆さんにとっても現場の状況やニーズがダイレクトに聞けるというメリットがあると思います。よりスピーディーに開発を進めていけますし、それが成果に繋がりやすくなるかなと。
鈴木:そうですね。スタートアップの多くは殆ど資源がないので、御社が100年かけて積み上げたネットワークや信用力というかけがえのない資産は、とても魅力的だと思います。
おそらく御社内で感じている価値以上に、外のプレイヤーが御社を見ることによって、色んな価値を見つけてくれると思うんですね。なのでアクセラレータープログラムをやると、実は自社を再発見できるというのが、もう一つの側面としてあります。外の人たちのほうがよく見えている。
自分たちが気づいていない貢献できる資源を、実はいっぱい持っているということがあります。そこを、きっと外の起業家たちが掘り起こしてくれると、個人的に期待しています。
原田:100年を迎えるにあたり、最近我々の挑戦マインドが、少し安定志向になってきているので、スタートアップの皆さんと組むことで社内を活性化していきたいと、思っています。
鈴木:挑戦マインドを社内で醸成するために、みなさんにはぜひこの素晴らしい西方庵(対談をしている場所)に来ていただいたほうがいいと思います。創業者の原田亀太郎氏は、若い頃に教育の機会にめぐまれなかったとお聞きしました。
しかしその状況を打破するために、猛勉強をされて、自ら教養を掴みにいった。そういった創業者のマインドを、もっと社員の方々に知っていただくと良いですよね。
原田:時代により庭の風景も多少変わってきていますけど、この西方庵に来て、創業者と同じ空気といいますか、日々ここで何を感じていたのかを、みんなに感じてもらいたいと思っています。
展示しているスーツケースや帽子、当時の写真などを見て、創業者が飛行機の無い時代に船や蒸気機関車(シベリア鉄道)でどういう思いで海外出張していたかというのは、なんとなく雰囲気を掴めるんじゃないかなと思います。
日々の営業活動に埋没していると、新しいビジネスへの挑戦の灯火が時々消えかけることがあるんですよね。それをもう一度燃え上がらせるために、たまに燃料補給をしなければいけない。入社した時は、みんな熱い想いを持っているので、そこに定期的に戻してあげたいなと思います。
共感資産の蓄積が、社員の幸せにつながっていく
鈴木:アクセラレーターがスタートしましたが、どんなスタートアップや起業家の人たちに集まってほしいですか。
原田:具体的にこういった方々とやりたいというよりも、お互いwin-winな関係で進められる方と、ご一緒したいと思っています。我々の経営理念の中に「共感資産」という言葉があります。共感資産を蓄積することが、社員の幸せにつながっていく。
例えば、学生時代に何かスポーツをやっていたとして、大会などで好成績を残すために、日々辛い思いしながら練習すると思うんですね。
それが最終的に試合で勝って目標を達成した時に、喜びというものは目に見えないんですけども、その喜びをみんなで共有することが、1つの財産じゃないかと捉えています。ビジネスにおいても仲間と協力しながら苦労を乗り越えて成果を出した時の喜びはひとしおです。それは中だけの話ではなく、社内も社外も関係なくみんな一緒だと思うんですね。
今回スタートアップの皆さんと一緒に活動し新しいビジネスが世の中で認められるまでに、険しい道は沢山あると思うんですけど、最終的に一緒に成功しその喜びを共感できるパートナーと協力してゆければなと思います。
鈴木:共感資産、いい言葉ですね。いつ頃から発信されている言葉ですか。
原田:30年ほど前からですね。
鈴木:昨日ある大学の教授と会っていた時に、偶然にも共感というテーマを話していました。昨今、金融資本主義が行き詰っている中で、最終的に何が価値になるのかというと、人間の共感なんだなと。共感こそが、世の中に価値を生んでいく。
それを30年前から発信されているのはすごいことですね。30年前は、ちょうど高度経済成長期の勢いがまだ続いていた頃なので、その時から共感資産を言語化されているのは驚きました。これは前社長がつくられたお言葉ですか。
原田:そうですね。
鈴木:今多くの経済学者がそれを言い始めていて、この前もアメリカで上場株式会社が集まって、何をやったかというと「株主のほうを見て仕事をするのはやめよう!」と、これからは共感だと。
原田:我々も同感です。ファミリー企業で株を上場しないというのも、やはり自分たちのやりたいように、長期的な視点で事業をやりたいという気持ちがあるからです。
今までも10年先を見据えて「10年後はこういうマーケットがあるんじゃないか」とやってきた事業がいくつもあります。それだけ長期的な視野を持てる土壌があるので、スタートアップの皆さんにとっても、提案の幅が広がり易いんじゃないかなと思います。
アクセラレーターにより、社員の心に火がつく
原田:社員の話に戻りますけれども、若い人だけではなく50代半ばの社員で、新しい事業を起こしたいという社員もいます。
鈴木:かっこいいですね。
原田:定年までに自分の最後のビジネス大成をやりたいと。船のビジネスをやっていた社員なんですが、日本は海に囲まれているので、再生可能エネルギー関連ビジネスとして、洋上風力発電に関わることをやりたいと。
その熱い想いが仕入れ先にも伝わって、本来であれば我々は取扱範囲外だったんですけれども、想いの強さで何とか権利を勝ち取って、その後にビジネスに繋がり、後輩にそれを徐々に渡していっているんですよ。
鈴木:素晴らしいですね。多くの社員さんが、変わらなきゃと思っているのかもしれませんね。
実は他の会社でも、アクセラレーターをやると会社が盛り上がったりするんですよ。「わたしも何かやりたい!」「やらせてください!」という人が出てくるんです。そういうのが繋がっていくと面白いですね。
原田:あと、前半でニッチマーケットに注力していると話をしましたが、我々はメディカル分野にも力を入れています。大手企業が手掛けるマーケット規模の大きな分野ではなく、呼吸器や産科に特化しています。
この分野は患者さんが少ない分、大手にとってはメリットが少なく参入を嫌うのでし難いんですよね。実際、採算性の観点からは厳しい面があるのですけれど、我々としては患者さんの役に少しでも立ちたいとの想いでやってきました。
また、我々の会社スケールに合わない治験にも果敢にチャレンジしました。薬機法に基づく審査の手順が複雑だったこともあり、トータル10年くらいやってきて世の中に出ましたが、最終的に患者さんにもドクターにも喜んでいただけるので、我々なりのスケールで頑張れる醍醐味なのかなと思っています。
鈴木:スモールマーケットにも攻め込めて、尚且つ10年も掛けられるというのは、大きなアドバンテージですよね。多くの企業は、10年掛けて事業をつくれないです。
だからこそ、市場には穴がまだ沢山残っていると思うんですよね。そしてそれを今スタートアップが取りに行っています。だからこそアクセラレーターでは、御社の強みがより生きるのではないかと感じました。
最後に、改めてアクセラレーターにかける想いと、起業家のみなさんにメッセージを頂けますか。
原田:我々は、最近企業理念の中で「挑戦に満ちた日常に、誰もが生きるよろこびと誇りを、感じられる世界へ。」というビジョンを、つくりました。
我々は商社ですので、特定の商品を売らなくちゃいけないということはなく、いろいろな提案や解決手段を付加価値として具現したモノ、コト、サービスの創造を通じて、世の中を少しでも変えて良くしていきたい気持ちでやっています。そして先ほど話をした堅実経営や長期的視点だけではなく、様々な領域へのネットワークの広さや現場へのフットワークの良さも、スタートアップの皆さんに提供していきたいと思います。
皆さんが、それぞれ挑戦をしていくステージを共につくりたいですし、そのためには我々は全面的な協力を惜しまない会社です。より良い世界の実現に向け、是非一緒に挑戦していければなと思います。