Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18. 常識とは18歳までに覚えた偏見のコレクションである。by アインシュタイン
常識という名の非常識
私が会社員からいわゆるスタートアップ(急成長を目的とした組織)に入った瞬間は、まさに世界が異なりました。過去から学校で習ってきたこと、会社で「良い」とされてきた「常識」そのものが違うのです。これは実際にその「組織に主体的に存在」しないと横から見ていても分かりません。具体的には・・人は教えるべき(元々できる人を集めた組織です)、全体合意を取る(これは日本人的ですが)、人の事は考えるべき(安定した会社での話です)、利益をだすべき(出さないという意味ではないですが、最初に赤字で弾みを付けます)、慎ましくあるべき(目立たなければ誰も見てくれません)など、概念的・具体的なものを含め全く異なるのです。
最初の頃は「これは違う」みたいな気持ちは強かったです。あまりにも考えが合わないので、
泣きながら公園でビールを飲んだのを覚えています。
今思えば・・・
常識だと信じていた自分の価値判断そのものがまさに非常識の塊であった
といえます。
常識という名の非常識を如何に疑えるか
こだわり(自分の中にある「間違ったこだわり」という起業の天敵と闘う)のような強いものから、普通に何気なく思っている「常識」といわれるものに如何に疑問符を投げかけられるか?これは非常に重要な要素です。批判や屁理屈をこねたいわけではないのです。今は狂ったアイデアに象徴されるように、そもそも常識の中からはDisruptiveなビジネスは出てきません。如何に自分自身の常識と言われる偏見と闘うのか?が極めて重要な要素になります。
常識というものの、裏側にこそ巨大なビジネスの種が埋まっている
権威を疑う
様々な権威は起業では決して鵜呑みにしてはなりません(プロモーション上権威を使うのは重要ですが)。特に日本はメディアへの信頼度が高いです。他国に比べて極端に日本のメディアが正しいわけではないでしょう。となると、プロモーション上はメディアを利用すべきですが、自分たちはそれは本当なのか?という行間を読む癖をつける必要があります。こちらを見るとアジアでは必ずしも日本は権威主義ではありません。なんなんでしょうか?中国の方がよほど権威主義なのです。ある部分はそうかも知れませんが、全部には納得行かない部分があります。少し論理が飛躍しますが、リンクの解説まで見ると、日本の場合下記の2つがいえるのではないでしょうか。
・集団の中での「空気」に気を使って(本意ではなくても)従う傾向がある。
・比較的「単一」の権威が存在するという雰囲気がある。
中国などは非常に戦乱の厳しい世界です。このため、権威には従うかも知れませんが、その権威を絶対とは思っていないのに対し、比較的歴史の長い日本では、権威への批判はあれども、権威は比較的単一という気がします。つまり、批判精神はあるものの、コミィニティが正しいと思うことに対して流されやすいということですね。プロモーション上は使えますが、スタートアップとしては、客観的に見てこの性質はNGですね。皆が1兆円企業を創れるわけではない(1兆円どころか1億だとしても)ですから。
集団で良いと思われている権威に対して疑う事がスタートアップには必要
常に学ぶ姿勢を持つ
メンターポリシーを公開しております(起業家メンタリング)。メンターの基本の一つに「教えるのではなく、共に学ぶ」という考えがあります。後続者を育成するというのは重要ですが、実はメンターたるもの、自分は起業を教えるという立場になってはいけないのではないか?と思えます。起業を教えるのであればそれをビジネス化するのであればよいですが。つまり、常に自分自身も学ぶという姿勢が必要だと思えるのです。
起業を教える人になってはいけない。自分が起業家であることが最大の起業家支援である。
未熟でいるうちはまだ成功できが、成熟した途端、腐敗が始まってしまう by レイ・クロック