起業も社内起業も誰がやるかわからないとしたら?

2019.04.10

社内起業は特別な人の特別なものなのか?

起業側からみると、社内起業は「手を上げてこないとダメだし」「気合が必要であり」・・とステレオタイプのイメージを持っていました。

社内起業と起業では大きく異なるのは、後者は一歩踏み出した後であり、前者は踏み出す前ということで時系列が違います。後者は野球でいえば、素振りをしてバッターボックスに立って、まだヒットは打ててないかもしれないが、試合には出ている状態です。前者はそうではありません。

社内起業の社会的な価値はなんなのか?」にもまとめましたが、近代をみると、社内起業派生の方が経済貢献は大きいということだと思います。これがなんなのか?というと、スタート地点に立つモチベーションが持ちやすく(業務の中からニーズを見つけやすく)、既存企業のリソースという巨人があることにあると思っております。

さて、社内起業に関しての私なりの結論は・・

社内起業は誰がやるかわからない

・・ということです。これはギフォードピンチョー氏の企業内起業家にも記載されていることです。

実は、起業も特別な人がやるものではないのではないか?

これは今の私の仮説です。

起業家はそのような気質の人が元々いるわけではなく、行動の向こう側で起業家になっていくのではないか?と。

多くの人は誰か「カリスマ的な企業家」が存在すると考えていると思えます。しかし実際にそうなんでしょうか?

私はドラッガーさんの「企業家精神の原理は変化を当然のこととする行動であり姿勢である」をみたときに、起業家は当然、気質・才能、ある特定の誰か特別(良い悪いとかではなく)であり、いわば特殊な人がやるものだと思ってましたので「そもそもその考え方が間違いだ」というのはなんとも頷けないところがありました。

いやいや、ドラッガーさんはきっと、人を鼓舞するためにそういっているだけだろう?

・・そう思っていたのです。しかし、「社会的環境」「周りにその時たまたまいた人」後は選択のバイアスにより、そもそも勝った人しか見えない(あるいは大負けした人しか)という条件のなかでは、企業家(≒起業家)はそもそもそのような人が存在していたのではなく、どのような特性の人でも条件と運が整えば出てくるのではないか?ということです。

例えば、少し話は違いますが、日本はユニコーンが少ないといわれております。「日本には「ユニコーン」が少ない?そんなこと気にしてもムダな理由」にあるように環境の問題は大きい。今でこそメジャーリーガーの日本人も多いですが、過去にはそこまでいなかった。逆に福岡県ぐらいの経済規模のウクライナには「16 Unicorn Startups with R&D Offices in Ukraine」ユニコーンが多いのは何故か?

なぜ、戦後には大型の企業家が出てきたのか?教育の問題?でしょうか?

ここまで考えると、人の要員よりも環境やチームの要因の方が大きく見えるのです。ただ、一つだけ私も確実に思えることがあるのです。それは第二創業系を考えていたときです。第二創業系は喜んで経営者になった人はだけではないかも知れません。実家を継がないとならないとか。。しかし、スタート地点には立ったのです。第二創業、起業、それがポジティブな理由であろうがなかろうが、行動の向こう側に企業家が創られていると思えるのです。

起業家には誰がなるかわからない。但し、スタートしない限りは企業家にはなれない。

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