これは悩ましい問題です。
一点突破!人生を賭けてみる!という考え方は好きな人は多いでしょう。特に資金調達して、赤字で掘って、Jカーブというストーリーは多くの人を魅了すると思います。
まずは創ってみたい
「それでも日本人はまた戦艦「大和」をつくるだろう〜この国が抱える根本的な宿痾」が参考になります。それが上位概念として「グランドデザイン」として考える前に「創ってしまいたい」という渇望に負けてしまう場合です。ニーズがあるか?そんなことはふっ飛ばして、いきなり「完成形」を創ってしまうというものです。ここでいうところの「完成形 ≒ 一か八か」をいきなり創ってしまうというところがミソかと思います。
エフェクチュエーション的なDesireと行動
エフェクチュエーションでは「グランドデザイン」とまでもいかないですが、色々考える前に、Desire(興味やちょっとした想い)で「許容できるロスの範囲(Affordable Loss)」でまずは創る(行動する)という考え方があります。上記の「完成形」を創る話とは違って、まずは小さく、できる範囲でやってみるというところです。これは失敗しても特に痛くない(失敗ではなく、行程)ので、その結果をみて、方向を変えていくというものです。これは「完成形を創ってみたいという渇望」に応えるものとはちょっと違います。
都合の良いクライアントを発明する前に
確かに、ユーザーはその製品やサービスをみせられるまで、あるいはみせられた後しばらくは(文化を変えるような教育のいるモデル)そのニーズに気づかない可能性があります。
なので、まずは最終型を創ってではなく、こまかく、ユーザの行動を見極めるためにできることはあるはず、あるいは、そもそも、何を顧客価値として提供したいのか?あるいは、それをもって、どのように人を幸せにしたいのか?を考えて、手段である「製品・サービス」を考えると、必ずしもその完成形ではない場合も多い(時に全く違うもの)のではないでしょうか。
ある程度大きな会社では営業力やブランド力でそこまでニーズに合致しない製品をある程度売ることも可能でしょうが、本質的ではないですね。
まずは、本当に成し遂げたいことは何か?を冷静に考え、許容できる損失内でできることをやってみるところからではないか?と思われます。特に技術系、お金のかかるハード系では「いきなり完成形」の傾向が強いので、今一度、初心に戻って、はやる渇望を抑え、地味にヒットを重ねることが、最終的な飛躍につながる気がします。