01Blog / 大企業から起業への動機とは?

2016.05.20

※ 2013年年の頃に書いたブログを更新します。

本日は有名大学のビジネススクールで講師の方のご好意でパネリストでお話をさせて頂きました。とても素晴らしく、勉強になりました。大感謝です。その中で、大企業、転職、起業の動機とは(ミッション、やりたいことなど)何かという話があり、ここにまとめておこうかと思います。

技術を捨てるということ

私個人としてはこれが一番大きかったと思います。正直、技術者・研究者の能力は私には無かったと思います。いわゆるクラフトマンシップというものは性には合わなかったと思います。しかし、資源の無い日本では技術なしには生きていけないという事を頑なに信じていました。それを捨てるのに12-13年近くかかったというのが大きかったと思います。実は起業そのものよりもこちらの方が大きかったかも知れません。

それは大きなリストラから始まった

そもそも、私の新入社員の頃はバブル崩壊の少し後でまだまだ日本企業に元気があり、転職はおろか、起業なんてことは想像もしない状況ではありました。最初に入った大手電機メーカの重電部門では国内の大手電力会社向けの製品がほとんどであり、バブル崩壊の煽りを受けて、受注は限りなくゼロ、事業所の従業員は数千人おります。大量の早期退職の発生(信じられないほど退職)、大手同業との合併があり・・

まるで夢をみているようでした。こんなこと起こるんだと。。

はたっと、気づいたのが、当たり前ですが「会社は営利団体である」ということです。給料も福利厚生も利益あってのこと。勝手に公共サービスのように与えられている特権ではないという本当に当たり前の事です(公共サービスだって日本の経済力あってのものですが)。

音を立てて崩れ去った技術神話

そのような中では、今まで素晴らしく見えた上司の方が今ひとつ信用できなくなりました(もちろん、人間的には素晴らしい方々でしたが)。「努力していればなんとかなる」、え?どうやって?という感じで、「技術」だけでのし上がって来た会社やそのマネージャー陣には伸びない世界やカオスの中で戦略というものを考える機会はそれまでの人生では無かったともいえます。海外の事例を沢山調べました。その時、感じたのは「技術だけでは勝てない」という本当に当たり前の事です。

BtoBで顧客とはなんぞや?の議論で顧客のメーカ名を転職した会社で言ってきた例がありましたが、そう、大きな顧客が居ると、「市場」なんてそれまであまり考えたことが無かったのかも知れません。

世界との出会い

一方、日本の市場はダメでも、世界は熱かったのです。重電の世界でも中東、アジアでは非常に旺盛な需要がありました。その後、社内公募で移った家電部門では世界的な北欧メーカとのアライアンスをしましたが、こちらが日本の大手量販店の話しをするに対し、先方は、「台湾でこのデザインは受けるね!」と視座が異なります。地球儀で物を考えるんです。何をもって勝つのかはともかく、量販店の棚の座布取りをしているのと世界を相手にしているのでは視野が違います。だったら世界を狙っている会社に行こうと。

伸びている会社は違う

次に転職したのが海外売上比率の非常に高い部品メーカ。入社以来ずっと右肩下がりであった私には、これが伸びている企業か?と舌を巻くほどの素晴らしさでした。もちろん、最初の会社も素晴らしかったです。しかし、組織の行動力が違うのです。停滞すると本来は奮起するのでしょうが、凄い停滞を前職では経験しました。

自分の人生を生きるという当たり前のこと

しかし、市況は変化しました。ハードウエアの価値が低下し、ソフトの世界の価値が上がりました。このような中で自分の担当した世界的ベンダーの売上が激減し、理系脳ではその事象に対応をすることができずに、ビジネススクールへ通うことを決めたのはその頃です。 これ以上、このベンダーのサポートをしても仕方がない(会社に損害を生むだけ)と見切った私のモチベーションは激減し、心配した上司が海外転勤を世話してくれました。しかし、この状態で行っても仕方がないと思ったので、お断りしました。ビジネスを学ぶべきだと(そうは言ってませんが)。この時、知り合いに言われたのに少し愕然としました。「え?会社の命令に逆らうなんて信じられない」。え?自分の人生っじゃないのか?っと。 当時通っていたビジネススクールの講演会で大手製薬の社長の話があり「こうやれと言われたのでやった」「そうしたら、こっちをやれといわれてやった」で、社長になった。もちろん、私に人の人生をとやかく言うような権利はありませんが、違和感があったんです。「え?自分の人生ではないのか?」と。

起業という生き方

その頃通っていたビジネススクールで起業部というのがありました。起業系のクラスがあり、今まで全くそんな選択肢を考えたことも無かったので、どんなもんだろう?ということで、起業部に入ってみました。で、オリエンテーションで「起業しない奴はダメだ!」と言われて、単純な私は「そ、そうなのか!?」と愕然としました。

さて、その後、ジョインする事になるスタートアップの社長に起業しようかな?と言ったら「ジョージさん、起業はほぼ失敗するのでやめたほうがいいですよ」と言われました。

正直、いきなり起業するとあまりにも世界が違うので、特に急成長を目指すスタートアップではかなりの確率で失敗すると思えます。できれば、一回は予行演習でスタートアップに創業期からジョインするか、先人のメンタリングや、仲間が必要です。

スタートアップとの出会いとサラリーマンへの出戻り

大企業では限界を感じて(偉そうに言えば学ぶことが無くなって)、後は創業から携わっていたStartupに「転職」しました。そのStartupはあっという間にでかくなって買収されました。短い期間でしたが本当に勉強になりました。企業のそれとは全く異次元の世界です。スタートアップとは最高にエキサイティングで狂おしい程に素晴らしいものです。但し、不安は常にありますよね。

その後、入った(買収先の)通信系の会社では、給料もらって安定、と、あれ?リスク取ってベンチャーに行ったのにまた社内調整?との葛藤がずーっとありました。もちろん、サラリーマンが楽とは言いません。ただ、ある程度我慢すればそこそこの給料がもらえます。それは正直物凄い魅力的です。社会的地位もあるし、不動産屋に家を借りるときに「会社が買収されて、この会社になるんで!」とプレスリリースのプリントアウトを渡す必要も無いのです。

起業の世界への出戻りとシリコンバレー

「もうジョージさんは素人じゃないし、起業やられたらどうですか?」と前のCEOに言われ、後は、「出資するので口座教えて下さい」と色んな投資家にも言われました。トラックレコード(買収やIPOなどの経験)って凄いんだなぁと思いました(確かに得るものは相当ありました)。

結局、その会社を退職し、起業の世界に戻ってきました。サラリーマン経験で得たことは大きいですが、少なくとも「最終的に海外を向かないと終わる」ということは、重電、家電の経験で分かりました。後は戦略性。自分が創業という形を始めるときに、最初に行ったのがシリコンバレー、キューっと立ち上げてバイアウトモデル。ただ、これにも違和感がありました。また、日本人がシリコンバレーで(天才はともかく)勝てる理由が見いだせませんでした。もちろん、アジアをテコに戦うことはできるでしょうが、相手のスペックで戦わねばなりません。これでは勝てない。その挑戦はもう少し未来に取っておこうと思いました。アジアで勝てば必ず彼らは寄ってくると。

バイアウトというものと日本というもの

また、バイアウトモデルにも違和感を感じました。会社への固執はありませんが、シリアルアントレ(立ち上げて売る)というものに味気なさも感じました。 その頃に、日本とはなんぞや?と考える機会があり、結局、アメリカ人や中国人であれば別の戦略もあるでしょうが、日本人である以上、日本の良さを武器に戦うしかないのではないか?との結論に達しました。また、日本の良さも再認識しました。その日本の良さをうまく使って、ビジネスに繋げて行こうと思ってやっているのが今のベンチャー立ち上げです(2013年当時、結果的にこの会社は失敗)。

2016年から振り返って

今(2016年5月)思い返すと方向性は変わっていません。2013年当時は01Boosterの他にもう1社の立上げをやりましたが、失敗しました。それ以外もあまたある失敗をしました。2012年から数えると2年間は迷走してますね。で、結局、残ったのは3年無給だった01Boosterだけでした。大手企業から転職、そして、スタートアップ、また出戻った大手を退職して起業、自分で起業してメロメロになり、今は、なんとかゼロをイチにするところまではできたというところではないでしょうか。

私は大手企業が悪いとは思わないのです。それはポジションにも市況にも依るでしょう。その人の性格にもよります。ただ、一つだけ言えるのは起業という選択肢を持つだけでも、世界も変わるだろうということです。

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